波乱の年に注目された先祖・光秀 リーダーは配下の目線尊重も不可欠

2020年という年は、新型コロナウイルスとの闘いの一年であった。同時に、日本にとっては、東京五輪の開催が1年延期となった衝撃も加わった。何より人命が大事であり、延期は致し方ないこととはいえ、今年に向けて調整をしてきた選手にとっては非常に苦しい決断を受け入れなければならなかったであろう。新型コロナとの闘いも、五輪の開催延期も、かつて経験したことがなく、日本は数々の対応を求められながら、右往左往する場面が多かったことは、とても残念である。

いまだ、コロナ禍で苦しんでいる中ではあるが、この波乱の年に、先祖の明智光秀を主人公とした大河ドラマが放映されたことに、複雑な思いを抱いている。

コロナ禍以前に、重要キャストの交代で3週間遅れての放送開始という「波乱」に始まり、その後、感染拡大の中での撮影が困難となり、まさかの放送中断。それは、2カ月半に及んだ。結局、前代未聞の越年放送となり、視聴者の最大の関心事であろう「本能寺の変」の場面も、放送は21年になってからである。一方、放送中断とはいえ、結果として1年以上、数々の困難を乗り越えて、明智光秀を主人公としたドラマが放映されることは、光秀への関心も長く続き、それはそれでありがたいことと感じている。

波乱の一年に光秀の物語が放映されることに「光秀の呪い」などと揶揄(やゆ)する声もだいぶ聞いたが、この「組み合わせ」をどのように解釈するのも、それぞれの自由な思いで良いと思っている。一方、私は、子孫の一人として、この波乱の年に光秀が注目される機会を得たことの意味を考えてみた。

光秀は、数回の主君替えをしながら、最後は「天下布武」を目指す織田信長に仕え、重臣としての地位を確立した。織田信長は、この時代で初めて「全国」という概念を持った武将であったといわれている。この頃は、武将といえば、一国一城の主であり、自分の領地を守っていくことに注力していた。

しかし、信長は、自分の国の域を越え、今でいう日本全国を自分の支配下に治めることを目指し、光秀は、その信長の発想に「新しい時代」を確信したのではないかと考える。

その「新しい」時代というのが、どのような時代なのか、争いごとがない時代なのか、もっと広く、海の外、つまり世界に進出していくことなのか、またその新しい時代を築くためには、手段を選ばずでもよいのか、光秀は信長と同じ方向を見ながらも、少しずつ不信や不安を募らせていったと考える。

光秀は、残されている数々の書状などから、信長からの信頼はとても厚く、さまざまな場面で意見を求められ、また信長もそれに従うことが多かったことも伺える。誰も発想しなかった「天下布武」を信長が目指した戦国時代を、大将ではなく、その最側近の目線で描くと、どのように世の中が見えるのか。しかも、最側近であるにもかかわらず、その大将である主君を殺してしまう光秀が、何を感じていたのか。今の世に伝えられることがあるとすれば、その視点ではないかと、私には思えてならない。

国も、そしてあらゆる組織も、トップの思考や判断は最も重要である。しかし、一歩引いたところから見えたものを受け止めることも重要である。特に政治の場で目につく、国民の肌感覚を忘れた振る舞いに、しっかり忠告できる人はいないのか。そんな思いで「越年する光秀」を、来年初頭まで楽しんでいただけたらと願っている。

 

フジ・ビジネス・アイ「高論卓説」(2020年12月25日掲載)

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