大臣の首を切れといわれ、平身低頭するダメ村山首相

「夕刊フジ」1995年11月18日掲載

 江沢民中国主席と金泳三韓国大統領の首脳会談が「日本に対する叩頭外交を徹底的にやろう」という点で一致したという。
これを知ったとき、大正五年六月「中央公論」誌上に載った「満韓を視察して」と題する吉野作造博士の紀行文を想起した。
吉野博士は文中で、朝鮮半島の統治はひとりよがりではなく朝鮮人の心の底まで深く知ったうえでやらないと大変なことになる、とのべると同時に、不平不満を持つ朝鮮人の中には次のようなことを考えている者もいると警告をしている。
即ち≪自暴自棄の餘り只如何にして日本の勢力を半島外に排せんかということのみ考えて…支那の強大になって半島より日本の勢力を駆逐せんことは其の最も願ふところであると言う。近頃支那に革命運動が起こって居るが之に対して彼の或る者は非常な空望をかけて居る。そは支那にして若し革命運動に成功せる結果、他日強大な国家となるなれば、即ち彼等はこの新興の支那によって日本を追ひのける事が出来るだろうといふのである≫(原文のまま)。
同博士はさらに続けて≪寧ろ隠忍して一意専念民族全般の開発を計り、平和の裡に先ず実力を養ひ徐々に時機の到来を待って然る後に適当の解決を日本に求むるのが一番得策ではないかと去る処で説いたことがあるけれども中には容易に納得せざる者もあった≫(原文のまま)。
八十年も前のことだ。去る十一月十四日の、中・韓首脳会談は吉野博士の述べられたことが時に現実となった。
中・韓両国は、自分たちと同様の歴史認識を持つことを日本に強要した。閣僚更迭の要求も出し日本は屈服、村山首相は「日韓併合条約およびそれに先立ついくつかの条約が締結された。これらの条約は民族の自決と尊厳を認めない帝国主義時代の条約であることは疑いを入れない」というが、あの当時は大鑑巨砲主義である弱肉強食時代。日本だけが例外的立場をとれと言っても不可能なこと。もしそんなことをすれば日本自身、朝鮮半島を含めて〝白人の植民地〞になっていたはずだ。そうした背景のもとに日露条約の後、それに基づいて日韓併合条約が結ばれた。時に当時の世界はこれらの条約を合法と認めたのだ。
それにしても韓国が日帝時代の憎しみから帝国主義だと批判することはことの条理からいささか感情すぎると考える。
しかし実際の半島に対する植民政策がすべて悪とは思われない。しかし、植民地支配をうけている悲哀の民族に対し、〝同悲同涙〞の心が日本人にかけていたことはいなめない。あるいは国家・国旗を奪われた朝鮮人の悲しみ。東京帝国大学を優秀な成績で卒業しても高等文官試験を受けさせぬという差別、数えあげればキリがない。
そうした差別の数々が重なった結果、今日の対日不満となっていることを日本人は知る必要がある。かといって、大臣の首を切れといわれ平身低頭する村山首相は断じて許せない!!彼の侮りをうけるだけだ。

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