コロナで再認識された国民性 封じ込めへ鍵握る「忍耐強さ」

新型コロナウイルスという未知の脅威にさらされ、はや半年。日本は初動対応が遅れた割には、爆発的な感染拡大や医療崩壊を、何とか免れたようにも見える。その理由はまだ専門家の中でも明確ではないようだが、他国と比べての大きな違いの一つは、国民の忍耐強さだったのではないだろうか。

私は新型コロナウイルスの感染拡大が始まったときから、日本の意思決定者である政治家に多数取材をしてきた。政治家の危機意識の低さには毎回驚くばかりであった。私たちが立ち向かうべき相手は一体何かということをどう考えているのか、疑問に思うことばかりであった。

まだ日本での感染拡大が始まった頃は、基礎疾患や高齢者が重症化しやすいとされてきたため、高齢者の外出を控える要請を行うべきではないかという声は大きかった。しかし、政治家は「誰かの行動を抑制することは、差別に当たる」と解釈し、外出自粛要請は「してはいけないこと」という認識であった。

しかし、そのことからわずか数週間後には、全国一斉休校要請が、何の科学的根拠もないまま出され、子供たちは突如、学校へ行かれない、また祖父母の家などに行くのも控えてほしいというような「行動抑制」をされたのである。

お年寄りにはできなくて、子供には有無を言わさないような、政治家の身勝手な行動の典型ではないだろうか。学年末、卒業式や進級を控え、友人たちとの別れのときを奪われた子供たちの傷は決して浅くない。

一方で、3月14日の安倍晋三首相の記者会見では、重症化するのは、基礎疾患のある人や高齢者であるから、卒業式も工夫しながらぜひやってほしいなどというピント外れな発言が出た。その時期には、卒業式の中止や規模縮小などへの決定が既になされていたのである。

その後、緊急事態宣言の発出の際も、小池百合子東京都知事の望むことはやらないといわんばかりのことを言っていた自民党議員が複数いた。同宣言の発出が、最低でも1週間は遅れた理由に、小池知事はじめ、全国の知事への対抗心があったと、私は取材を通じて確信している。

「9月入学」の導入の是非についても、同じ構図が見てとれた。一体どこを見て、何を目的に、この間のコロナ対応をしてきたのか。極め付きは、国民にテレワークや接触の8割減を求めておきながら、国会や政府は度を越えた「3密」。対策会議は必要だが、土日に開かれれば、そのたびに職員も出勤しなくてはならない。自民党内の部会などもそうである。日々、このような場面を見せられながらも、一部、自己中心的な人々を除き、大多数の国民はこの程度の政府に言われることでも、粛々と言われたことを守って、何とかここまで新規感染者の数を抑えてきたのである。アメリカのような暴動も起こらない。それはひとえに、未知の脅威の最前線で戦う医療従事者への敬意と、国民のまじめさ、我慢強さゆえであり、決して安倍政権の成果でもないことを、全ての政治家に認識をしてもらいたい。

フジ・ビジネス・アイ「高論卓説」(2020年6月9日掲載)

 

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