四半世紀に及ぶ夫婦別姓議論 家族名の次として旧姓に法的根拠を 

自民党は党内に選択的夫婦別姓制度を含む氏について議論するワーキングチームと、同制度に賛成・慎重それぞれの議員連盟を新たに設置した。「夫婦別姓」の議論は、濃淡はあるが、四半世紀にも及んで続いている問題。この間に、社会は大きく変わり、「別姓(氏)制度」を国の制度として設けることの意味も変わってきた。

私は、議論が出始めたころは夫婦別姓については反対の立場であった。当初、社会での経験が少なく、未婚でもあり、いずれは結婚して夫となる人の姓になることは当たり前のこととして、何の疑問も持たなかった。

当時の別姓議論での賛成派の意見は、女性の権利を主張することにその主眼が置かれているような印象も持っており、それ自体がいけないことではないが、そこには相いれない感覚があった。

一方、そう考えながらも、仕事上は一生、旧姓である「細川」を名乗り続けるということも決めていたし、事実、結婚後も、戸籍名は夫の姓になったが、仕事上は「細川」のまま、今日まで仕事を続けている。「細川」でいた方が便利なことが多かったし、結婚前に世間に発表している著作物がどう継承されていくのかもよく理解できなかったからでもある。

通称、つまり旧姓で仕事をし、不自由も多々あったが、それでも「細川珠生」としてキャリアを積み重ねてきた今、単に、女性の権利の主張ということにとどまらない旧姓使用の理由や、そのための法整備を求めることについては、私自身にとっても、社会にとっても別の重要な意義が存在すると認識するようになった。つまり現在は、旧姓を法的に担保するためであるならば、制度を作る必要性はあると考えている。

 通称使用できる範囲は格段に広がり、公的な証明書などへの記載も増え、手続き上の不便が解消される役割は果たせているといえる。それでよしとする意見も多い。それでも私が何らかの制度変更が必要だと思う理由は2つある。一つは、通称として使用できる範囲が広がることはよいとしても、結局のところ、通称は法的には何の根拠も持たない名前であるということへの疑問である。にもかかわらず、さまざまな重要書類にサインをし、判を押す。「重要」という意味や、サイン、そして印鑑は、一体意味があるのだろうかとさえ、思う。

もう一つは、私の通称は旧姓である。自分が生まれ育った家庭・家族の名前であり、私のアイデンティティーそのものでもある。諸外国では、「ミドルネーム」や「ダブルネーム」の形で、父母の姓のどちらも残せる制度を設けており、「個」を尊重する文化であることと合わせて考えると、どちらか一方しか選べない不条理を大いに感じるのである。

 それでも社会の最小単位の集合体である「家族」の意義は、特に子供が育つ環境という意味でも重要であり、それぞれが好きなようにばらばらに名前を選べるということでよいとまでは思わない。原則、ファミリーネームとしての家族の名前があり、旧姓を法的根拠の下、残す。それを通称として使用するもよし、母方の家名を継承する必要性が生じたときには、それも可能となるための制度にもなるのであれば、むしろ、そのような制度は早急に整備したほうが良いと考える。

私の場合は、400年以上続いてきた「細川」という家名を残すための方策が必要でもあり、上記2つの理由以外にも非常に切実であることも、付しておきたい。

フジ・ビジネス・アイ「高論卓説」(2021年4月2日掲載)

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