プロフィール
政治評論家
大正8(1919)年1月1日生まれ。熊本県出身。 早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。
昭和17年、毎日新聞東京本社入社。 同年10月、入営。陸軍東部通信本部に配属(硫黄島へ出征)。 昭和20年9月1日、復職。 毎日新聞東京本社経済部、政治部記者として勤務。 昭和38年、神戸支局長着任。 昭和41年、東京本社政治部長。佐藤内閣下で起きた政界黒い霧事件を受け、他社に先駆けてキャンペーンを展開。 政界汚職粛正のため、「日本政治への提言」を半年にわたり連載。 これにより、昭和42年、政治部として初めて新聞協会賞受賞。
昭和43年、東京本社編集局次長、 昭和45年、中部本社編集局次長を務めた後、 昭和48年、東京本社編集顧問。 昭和48年末、同社定年退職、以後、政治評論家となる。
昭和55年6月12日早朝、大平首相の死去を、文化放送の自らの番組内でいち早く放送したことにより、文化放送社長賞受賞。 昭和61年度 第6回 日本文芸大賞特別賞、 昭和61年度 ベストファザーイエローリボン賞受賞、 昭和63年度 (社)日本きものコンサルタント協会より和装文化賞受賞。
平成21年8月25日、老衰にて死去。享年90歳。
【趣味】
早稲田大学空手部(主将)、日本舞踊岩井流名誉名取(岩井隆聖)、小唄(春日流)、ゴルフ、スキー、水泳、アイスホッケー、野球等スポーツ全般。
【家族】
妻:細川春子(書道家:細川草風)、長男:細川隆三(テレビ朝日報道局勤務)、
長女:細川珠生(政治ジャーナリスト)、大叔父:細川隆元(政治評論家)、
細川護熙、園田直、近衛忠衛は細川一族一門。
著作
タイトル | 発行年 | 出版社 |
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『背骨を伸ばして』 | 1980年 | 文化放送出版 |
『細川隆一郎の健康一番』 | 1981年 | 日本テレビ出版 |
『細川隆一郎の健康一番②』 | 1982年 | 日本テレビ出版 |
『鈴木さん総理をすぐおやめなさい』 | 1982年 | IN通信社 |
『図太く生きる男の本』 | 1982年 | 文化創作出版 |
『吉田茂の人間秘話』 | 1983年 | 文化創作出版 |
『細川隆一郎・中谷武世直言集・政治改革のすすめ』 | 1983年 | 山手書房 |
『燃える政治の舞台裏・細川隆一郎直言対談集』 | 1983年 | 全貌社 |
『政争 ニューリーダー論』 | 1885年 | 山手書房 |
『岸信介伝』 | 1986年 | 事通信社 |
『細川隆一郎のかみなり人生指南』 | 1986年 | 講談社 |
『頭のいい人悪い人がわかる本』 | 1986年 | 青春出版社 |
『細川隆一郎おんなを語り政治を叱る』 | 1988年 | IN通信社 |
『まかせてみては?土井連合政権に』 | 1989年 | スコラ |
『オトコの復権』 | 1990年 | 東急エージェンシー出版 |
『バチあたり日本はどこへゆく』(共著) | 1992年 | 東急エージェンシー出版 |
『細川隆一郎の頑固一徹のススメ』 | 1993年 | 東急エージェンシー出版 |
『病める日本を癒す」(共著) | 1996年 | IN通信社 |
『笑って笑って大往生』 | 1996年 | 実業之日本社 |
『総理の通信簿』 | 1998年 | テラ・コーポレーション |
『怒りを忘れた日本人』 | 2001年 | 文化創作出版 |
掲載誌・紙
タイトル | 発行日 | 掲載紙・誌 |
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太平洋戦争と大東亜戦争 | 1994.5 | デイリースポーツ |
大臣の首を切れといわれ、平身低頭するダメ村山首相 | 1995.11 | 夕刊フジ |
“平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して”生きられるか | 1999.3 | 産業新潮 |
真の独立国家建設のため いまこそ自主憲法制定へ | 1999.7 | 市政 |
憲法枠内の自衛隊海外派遣 | 2001.11 | 市政 |
重ねて自主憲法の制定を求める | 2003.9 | 産業新潮 |
憲法改正は不可能か | 2004.2 | 産業新潮 |
国会を眺めて六十年 | 2004.3 | 市政 |