【書評】千葉工大惑星探査研究センター所長・松井孝典が読む『私の先祖 明智光秀』細川珠生著

■子孫が読む「父」の姿

歴史とは、この宇宙の時空という場での、事象の織りなす連続体のことである。世界史のような時空スケールは、個々の人の軌跡が社会(同時に存在する他の人の軌跡)との相互作用の結果紡がれる、時空の織物のようなものだ。その織物の模様は、注目する歴史上の人物や、後世にその歴史を見る人の、時空の切り方で異なって見える。

本書はその題名からも分かるように、明智光秀の末裔(まつえい)が推測する光秀の生き方、すなわち織物の模様がどのように見えるかを描いた本である。光秀の男系の系統は、歴史の表舞台では途絶えている。したがって著者は、実際には娘の玉こと、後の世の人には細川ガラシャ夫人として知られる人物の末裔だ。カトリック教徒としての自分と、洗礼を受けた玉を重ね合わせ、さらに著者の父親、細川隆一郎氏を明智光秀に見立てて、光秀の生涯を読み解こうとする。これこそ類書にない視点の歴史書たる所以(ゆえん)である。

明智光秀が、当時を代表する文化人であることは知っていた。しかし、土木技術や鉄砲技術、あるいは庶民の暮らしに通じた武人であるという点は、本書を読むまで知らなかった。というか、歴史は好きだが、これまで光秀については、あまり関連する本を読んだことがなく、基礎的な情報すら知らなかったということだ。であるが故に、本書に興味を持ったともいえる。

その文化人としての、あるいは経世の知識を、彼は諸国流浪の旅で得たようだ。信長に仕えた後、彼の生は一変する。疾風怒濤(どとう)のごとき人生にもかかわらず、寸暇を惜しんでの家族との親密な語らいのあったことを、著者は娘である玉の性格を通して推測する。玉の人生は光秀の謀反によって一変する。嫁入り先である細川家でのその後が唯一史料の現存するところで、著者はその史料の裏にある細川家と玉の想(おも)いを丹念に読み解こうとする。味土野(みどの)における幽閉時代の心理的葛藤が、玉を洗礼へと向かわせる。キリスト教の合理的思考がその背後にあるという指摘は納得できる。光秀と玉の人生を簡潔に追える貴重な本だ。(宝島社・1480円+税)

 

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